
軽石はようやく落ち着いたところと教えてもらいました。
沖縄に移住した家族を訪ねて、年末年始は沖縄に行ってきました。
また変異株の感染が米軍基地内で広がっていると報道もあったので、那覇では近所のスーパーへ出かけたくらいで、大掃除と断捨離に励んだ休暇でした。
ということで、沖縄の観光情報やレストラン情報を求めている方には収穫のない旅行記になります、ごめんなさい!
2021年から2022年にかけての一週間は、お天気がぐずつくこともなく一日中気持ちの良い快晴となった日が何日かありました。あまりのお天気の良さがもったいなくて、そんな日はお掃除や断捨離の手をしばし止めて、観光客のそれほど多くない南部方面や中部東側方面へとドライブ。
沖縄は車社会なので、都内の電車移動のように気を張らなくて良いのはとても楽でした。冬でも快晴の日は海の色がとても綺麗で、それを視界に入れつつ車を走らせるだけでも、ふだん東京で過ごしている私にはものすごいご褒美。
混むエリアとそうでないエリアの区別も着くようになってきたので、(事前に空いていることを確認してから)ホテルのカフェで海を眺めながらアフタヌーンティをしたり、綺麗な海を眺めにドライブをしたり、久しぶりに城(グスク)巡りをしたりと、穏やかな休暇でした。
沖縄には首里城のほかにもたくさんの城があったようで、その多くが城跡として今も残されています。それらを訪ね歩くことを城(グスク)巡りと言うそう。また、主要な幾つかの城は世界遺産にも認定され、それらの城は綺麗に整備されています。
世界遺産の一つである勝連城(かつれんグスク)跡は、「あまわりパーク」として、琉球の歴史や文化を後世に伝えるための施設の建設が進められていました。あまわり(阿麻和利)というのは、勝連城を治めていた人物の名前です。
座喜味城(ざきみグスク)跡には「ユンタンザミュージアム」という、なんともおしゃれな名前の施設も。座喜味城跡のある読谷村(よみたんそん)は第二次世界大戦前までは読谷山(ゆんたんざ)と呼ばれていたそうで、そこからの名付けのようでした。残念ながら今回はどちらもグスク跡にしか立ち寄らなかったので、またいつかゆっくり歴史文化施設の方も訪れてみたいです。
今回の旅では、3つの城(グスク)を訪れました。飛び飛びに、一日一城。

座喜味城跡は、この城郭入口までの間に、琉球松のたくさん植えられた参道を歩きます。城郭そのものは後日訪れたほかのグスクと比べると小規模ながらも、グスク全体の敷地の広さとしてはほかにひけをとらない広大さでした。

中城城跡は数多くの城郭から成る巨大なグスク。城郭内にとても深い大井戸があったり、遥拝所がいくつも残されていたりと、琉球文化と、中世から多くの人々が集った場所であることを実感できるグスクでした。

勝連城跡は数年前に一度訪れたことがあって、念願の再訪でした。二度目ということもあってか、ここのグスクが一番親近感があって好きな場所。
首里城には立派な正殿(数年前に焼失して、再度再建中ですが……)や守礼門が再建されていますが、それ以外のグスク跡は、基本的にこのようにどこも城郭が残されているだけです。
いわゆる本土の城とはまったく違って天守はないものの、中城城や勝連城は過去の発掘調査により、正殿の柱跡などが残されています。
これらはどれも15世紀頃のもののようですが、どこも非常にきれいな石積みが立派で素晴らしく、また芝生が美しく手入れされているため、訪れてぼーっとしていると、まるで中世のイギリスあたりの城跡を訪れているような錯覚も覚えました。城壁に立って、美しい芝生と石積みを眺めているともうほんとそんな気分。

標高1000mもないような高台の上に建てられた城跡に上ると、強い風が吹き付けるとともに、沖縄本島の山並みと左右を囲む美しい海をのぞむことができます。
沖縄というと、どうしても、延々と続くサトウキビ畑と滅多に人に合わない田舎を思い描いてしまうのですが、中世の時代からこんなに文明の発展した人口の多い土地だったんだなあ……と、本州のど田舎育ちの身としては改めて感嘆。
以上、とりとめのないメモのような旅?の記録でした。読んでくださってありがとうございました!